別れの場面の距離と速度
僕は昭和五七年、神奈川県横浜市中区の病院で生まれた。その後、三歳まで松竹大船撮影所の近くの貸家に住んでいた。母曰く、食事中の渥美清や笠智衆と遭遇したこともあるらしいが、残念ながら覚えていない。四歳で横浜の片隅にある港南台というニュータウンに引っ越した。港南台駅前には港南台シネサロンという小さな映画館があった。今回は、そこで初めて映画を見た時のことを書く。
五歳になる直前の夏休み、両親に連れられてシネサロンに行き、神山征二郎監督、新藤兼人脚本の『ハチ公物語』を見た。忠犬ハチ公については、絵本か何かで多少の予備知識はあったように思う。映画の終盤、ハチ公の飼い主の大学教授(仲代達矢)が講義中に倒れ、帰らぬ人となる。ハチ公は主人の死が理解できず、いつものように渋谷駅の改札で教授の帰りを待ち続ける。葬儀の日、教授の遺体を乗せた霊柩車が火葬場へ走り出す。ハチ公は生垣を飛び越え、霊柩車を追いかける。後部座席に乗った教授の妻(八千草薫)が振り返る。ハチ公は懸命に走っている。しかし、犬が車に追いつけるはずもなく、窓越しに見えるハチ公の姿はどんどん遠く、小さくなっていく――。そのカットを見た瞬間、僕は声をあげて泣き出した。自分でも驚くほど滅茶苦茶に泣きじゃくった。あまりにも泣き声が大きかったので、僕は父に抱えられ、映画館の外へ連れ出された。
二十代になってから、VHSで映画の続きを見た。やはり霊柩車のシーンで自然と涙が溢れ出てきた。別れの場面には、適切な距離と速度がある。そのことを、僕は『ハチ公物語』から学んだ。
映画館途中退場事件から三十年以上の時が流れた。町のシンボルだった港南台髙島屋は今年の夏に閉店。子育て世帯が集まり、希望に溢れていたニュータウンも、もはや新しい町ではなくなった。それでもシネサロン港南台は、二番館としてしぶとく営業を続けている。アニメ映画で収入を確保しながら、良質なプログラムを組んでいる。
去年の秋に帰らぬ人となった父も、倒れる数日前に母とシネサロンに行っていた。鑑賞したのは『新聞記者』。シム・ウンギョンの演技を絶賛していたらしい。全共闘世代の父があの映画を見て何を思ったか、酒を呑みながら話してみたかった。
(月刊シナリオ2020年4月号掲載)